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漏れ出るものを垂れ流しておきたい

メモ3

新橋のガード下にある大衆酒場で、マレー人の男は、歯科矯正のワイヤーに引っかかったタコの刺身を爪楊枝で引っ掻き出しながら、

「俺の国では、女を買いにいくことを『ドリアンを買いにいく』というんだぜ」と言った。

なるほど、それはいい。ドリアンが何の比喩なのかはわからない。転がっている女の臀部なのか、その芳醇な香りなのか、甘く柔らかい果実のことなのか。いや、表面の棘か、荒々しい造形だろうか?何にしても、ドリアンというのは、日本人を説明するには全く似つかわしくない言葉だ。しかし、男の国の女は、まさにドリアンを想起させる。

 

「日本のビアは美味い」

「そうかな、俺はTigerやShinghaの方が美味いと思うけど」

「いや、Tigerは俺の国で飲むから美味いんだ。日本のビアは、どこで飲んでも美味い」

「なるほど」

 

シンガポールでは、「Tiger」とは「ビア」のことであり「アルコール」のことである。

 

シンガポールの旧市街地には、1ブロックおきにドリアンの屋台がある。「猫」という漢字が使われている、何だかよく分からないがドリアンを指しているらしい漢字の札と一緒にうず高く積み上げられたドリアンは、1個数ドルという圧倒的な安さで売られている。殻をこじ開ける技能のない人間のためなのか、身だけをスチロールのトレーに乗せても売られている。これはさながら魚の切り身のようだ。ダチアを運転するタクシーの運転手は、ダチア含むすべてのものに「amazing」と「I've never seen that」を繰り返す私に気を良くしたか、わざわざドリアン屋台の多い通りをだらだら走りながら、

「ほら、あそこにもドリアン屋があるだろ、あれで2ドルだ、安いだろう?ほら、その先にも、見ろよ、こっちは2つで5ドルだ、少し大玉だな、だけど本当はまだシーズンじゃないんだ。これからどんどん甘くなるんだぜ。ほら、そこもドリアン屋だ。車を降りれば、ずっとこの通り沿いはドリアンの匂いがするんだ...」

 

23歳という黒髪の台湾人の猫目の女は、ベッドに仰向けになって(さぞクソ間抜けな光景だろう)、全く萎えて役立たずになった私の股間をしごきながら、背筋がよだつほど艶っぽいハスキーな声で

「Tiger?」と言った。

この女はいつもそうだ。一言で話しかけてくる。暑そうにしていれば「Water?」と言う。これがこの女の語彙によるものか、そもそもそういう人間なのか、それとも後天的に身につけてきてしまったのか、台湾人の特性か、日本人が丁寧にものを聞きすぎるからなのか、私は知らない。

「What?」

「ビアを飲んできたの?」

女が説明した。

「いや、飲んでない。あまり寝ていない。今日はもうダメだ」

女は仕方がない、というジェスチャーをしたが、私は女のプライドを傷つけたと感じた。一方で女も私に対して何か気を遣っているのが感じられた。私は上体を起こして、女の胸に触れた。

私は、こうなってみて初めて女の部屋を冷静に観察することができた。壁際の古いタンスの上には、大きなスーツケースが2つ、積み重ねられていた。鏡台の上には、女の化粧品と、くたくたになった縫いぐるみが幾つか置かれていた。褪色したドラえもんがあらぬ方向を向きながら空虚な笑みを浮かべていた。

女は部屋を観察する私の顔をじっと見つめていたが、頬から顎にかけてをさするジェスチャーをしながら、

「あなた、かっこいい顔してるわね」と割と真顔で言った。

「Oh, I've never heard like it」

「本当よ」

「台湾に行けばモテるのかね」

「分からない」

凄まじく白い女の肌は、しかし一枚ビニルを挟んでいるかのように固かった。私の肌よりも硬く引き締まっていたが、その一枚に包まれた肉は蕩けそうに柔らかかった。

 

 

メモ2

今いる会社の入社規約っていうのが出てきて、契約条項に目を通したら、

「仮に会社を辞めても会社にとって不利になるようなことを世の中に言わない」

とかいう条項があって、一般的に当然なのかもしれないんだけど、世間知らずな自分はなんか変な規約だなーと感心してしまった。だから暴露本が売れるのか。

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そういえば、なんか以前webで見たんだけど、「当初はスゴかったのに数年数十年後に全く面白くない企業になるメカニズム」というのがあって。

当初は明確な「新しいこんなことをやりたい」のために集まった、意思共有がなされているスタートアッパーの集団だったところが、

徐々に事業が軌道に乗ってって、手が足りないので人を雇おうということになる。すると、その企業のしていることを「面白そうだなあ」と思っている「別に面白くない奴」が入ってくることによって、どんどん組織内が一般人化していくという。笑

これは、捉え方によってはすごく選民的で穴のある理屈だし、そして「面白い奴」「面白くない奴」の差もその企業の中でしか通用しない基準なんだけどね。(だから「うーん俺は『別に面白くない奴』側だな、という風に考えること自体が無意味。)まあとりあえず、へーとか言って。けど、ここから有用な方針(対策)を学べるとすると、2択。「新入社員に創業理念とか追求したい面白さを徹底して共有してもらう+そこでの関わり方(クリエイティブとか経理とか事務方とか...)を明確にする」か、逆に「全く新しいことを持ち込んで、組織内の転覆を図ってもらう」のどっちかじゃね?と思う。後者は、革命側が権力側を倒して政権を取った瞬間から、彼らは権力側となってしまう、というジレンマと同じで、常に会社がしっちゃかめっちゃかになるリスクを抱えながらもひたすら更新していこうというやり方。

 

それで、今の時代は、今までの時代以上にトップのリーダーシップにかかってると思う。

責任あるトップが前面に出てくる、なんてのは、熟成社会では、ある意味「うちの会社はトップが営業に出てくるような中小企業です」「責任のある役員クラスが非常に少ないんです」ということを(暗に)意味しているのかもしれなくて、特に歴史のある業界の中では、モノホンのトップは出てこない方がいい、彼らは彼らどうし夜のお店で業界の情報交換だけしてればOK、という考え方があるのもよく分かる。

だけど、どうなんだろう。今まで以上に即断即決が要求されてて、「一旦社に持ち帰って検討します」なんていう時間稼ぎが通用しなくなってきていると思う。システムを提供する企業も、そのサービスは半生で、OSのアップデートみたいにどんどん更新してこうと思ってる世の中だもの。末端同士が話し合って、社に持ち帰って、なんてするほど固まってないんだわ。逆に、可能性がある話なら、トップ同士が直接ぶつかって、「んじゃもうコラボという形で、タッグ組んでなにか展開しましょう」という方がwin-winなんじゃないの?っていう。最近成長しているタイプの企業はそういう感じなんじゃないのかね。つまりフットワークの軽さが大事だっていう。大きい企業もベンチャーであることが求められているんじゃないのか...と最近考える。一方がプラットフォームの側にコンテンツを供給するだけの立場になってしまうリスクは抱えながらも。

あと、直接カネにならない事業と、既にカネになっているコンテンツを生み出している社員は区別しちゃいけないよな、と。今の時代(とか言って時代を語るのとか数年はえーよって感じだけど)「継続的に自社情報に触れさせておく」ということもすごい大事なわけだし。それはタブー破りを含めて、フリーな情報を生み出し続けることって逆に課金コンテンツを作るよりも大事なんじゃないのか。と思うし。webの本懐なんて「フリーで情報を手にいれる」ことなんだ。

 

昨日の午後は、お金を扱っている高校の頃の友達と、官僚やってる友達に会って神宮の広場の野球場でどっかの社会人がソフトボールしてるのを観戦してた。お金の方の友達が『重版出来』くらいしか見てないとか言ってて感心した。お金を運用する人がモノを作るってどういうこと、みたいなモノ自体のさらに裏側に興味を持ってもらえているって大事なことだと思う。

高校時代に当時ソニーの社長だった出井伸之の講演会を見に行ったことがあって、まあ評価別れる人だと思うけど、「これからのソニーはモノを作らずサービスでやっていきます」って言ってたんだよね(「コンテンツ」とも当然言ってたと思うけど、たしかその時は「サービス」って言ってた。)そんでもうダメだ...と思った。そしたら本当にダメになっちゃった。

まあいいや、「重版出来」は面白いと思うんだけど、まだ原作読んでなくてあれこれいうのもアレだけど、ちょっと主人公がチートすぎて、逆に見てらんない時がある。「ド純真チート」。視聴率伸び悩んでいる原因があるとすると、やっぱ主人公に感情移入できないからっていうところなんじゃないのかなって思った。いくら群像劇とは言え、視聴者はそこまでストイックに「設計者」の考え方にはついていけないんじゃないのかしら。面白いけどね。がんばれ「重版出来」(そこ?) 

メモ1

昨日の夢は強烈だった。電車の中で尿意を催し、「そういえば俺は今、コンドームをしているんだった」ということに気づいてそのまま用を足すと、無論ゴムが膨らみ、重みで息子から抜けそうになる。まずい、と思ってパンツの中に手を突っ込んで、水風船のようになったゴムをサッと引き抜き口をつまみ→

— ひらいぱみゅぱみゅ (@hiraino) 2016年6月11日

 

@hiraino パンツから引き抜く。「周りの人、風船だと思ってくれないかな」と思うのだが、精子貯めがピョコっとしているので明らかにゴム。パンパンなゴムの口を握りしめて高速で赤坂見付で下車し、トイレの便器に流すという。何もかも寝る前に見たサガミ0.01mmのサイトのせいだ。

— ひらいぱみゅぱみゅ (@hiraino) 2016年6月11日

 

凄まじい夢から始まった1日だった。普通につらい。

本当に俺は社会をナメてるんだろうし、というかこれまで生きてきての行動は全て、

「社会をナメてる」

という言葉に帰結されるものなのだろうし。それを指摘されてももう「社会をナメる」以外の生き方ってできるの?自分、どうなの?みたいなところで。自分自身も敵。「社会をナメてるよ」とハッキリと言われたのは、去年の初頭?交通事故を起こしたとき。そのときは別に社会をナメてなかったらこの交通事故起こらなかったかと言われれば起こっただろ、と思ったけどね。もう起こるべくして起こったのなら、俺は社会をナメてるんだな、という程度のもので。

あとは個人的には、就活の時かな。自分は社会をナメてるな、と思ったのは。そういえば、親はね、俺のことをアカデミックなところにいるよりも、社会に出て、(大きな)会社に入って、その中で仕事して、人間関係築いて、っていうのが楽しい、向いてる、と思ってたみたいなんだよね。けどね、残念だけどそれは昔の俺なら、っていうところだよね。小・中学性時代の俺の話だよね。と思った。

無論努力はしてかないといけませんが。そらそうですよ。もちろんです。

最近は、別れた彼女のこと、家族のこと、仕事のこと、これから彼女をつくりに行っていいのかみたいなことなど、基本的にはこの4つが果てしなく脳内を循環している状態にある。才能がある人だったら、小説のネタにでもなりそうだけど、残念ながらアウトプットの術を全く持っていないので。加湿器の中のカルキみたいに、ベッタリと貼り付いたままどんどん増えていく。それで、なんかそういう話で絡んでくるウザい奴のtwitterをブロックしたりfacebookの友達を外したりしてみる。

何かあれば「自腹をきればいいや」「怒られればいいや」「代わりに俺がやればいいや」というのも全部世の中をナメてる、というか自分でなんとかできると思っているからなんだろうね。どこかで。どうにもならないのに。

危機感でしか動けない。積極性(良い意味で)が初動になったみたいなことって、今まで生きてきて何回くらいあるのかしら。だいたいにおいて、「マズい」「ヤバい」が動機になっている気がする。

(そういえば、昔通っていた塾で、「ビビり」が原因で勉強するのはマズい、ということを言ってて。受験にビビって勉強している奴のことをチキンとか言ってたんだけど。その頃は何がいけないの?と思ってたけど、今になるとわかる。なぜならそれは積極的に勉強しているわけじゃないし、危機感だけで勉強しているっていうのは結果としてその後ガタガタっと「勉強しない期間」ができることを意味してると思うし。)

昨日は大学の先輩と、アトリエで働いてる同級生と飯を食いに行って、その先輩がいよいよ登記して自分の事務所を持ったみたいな話になって、「やっぱもう時代が時代なんだから自社(自分)のオウンドメディア持った方が絶対いい」っていう話をして帰ってきた。

仮にちゃんとコンセプトがあるなら、案を練って、最初に施主に見せ→スタディし→実施設計し→建物が建つ、まで来てなんで最後の最後に他者に委託できんの?という話。なんなら写真も自分で撮って、こうこうこういうコンセプトでこう建ったんです、っていうのは自分で発信しないとダメなのでは?という話。でしょ?と言ってきました。今の時代は見せ方をデザインするというのを、別にプレボの話とかパースの仕上がりの話じゃなくて、媒体そのものをデザインする方法を考えないといけないんじゃないのかという。

確かに業界デビューは必要なので、業界に影響力のあるメディアに出ることは大事だと思うけど。けどそれはそれでさ、それに頼り切ってんのもどうよ。と思うわけ。

んでまあ、そのタメのやつがうんうんそうだねと言ってたのが印象的だった。やはり社会に出たか。と思った。

先輩からはいいテーマをもらった。ちょっと真面目に考えてみるか。この立場だからできることはあるもの。だけど全然自分は(学術的な)論文にまとめることに対して興味ないなーと思った。